_ 69才の石原慎太郎が自分の老いについて語った本である。
_ 石原はこの本のなかで何回か三島由起夫に言及している。長くなるが引用する。
_ 「ヘミングウェイの自殺と違って、自衛隊の師団本部に乱入しクーデタをそそのかす演説をぶち、呼応せぬ相手を見て自決してしまった彼の挙動に悲劇性がまったく感じられず、リアリティーが欠けてどこか滑稽にさえ感じられるのは、彼が保有していた肉体が肉体として機能することのないしょせんフェイクなものでしかなかったから、老いによってそれを失うという恐ろしさを感じさせ得ない肉体でしかなかったからです。つまり三島氏は結果として肉体が老いて衰退していくという実感を持ち得なかった。三島氏は老いることの本当の口惜しさ、恐ろしさを実は知ることが出来なかった。彼がそれを知っていたなら彼の文学は死んでしまう前のように突然の衰退を示しはしなかったと思います」
_ これを読んで不愉快になった。石原のように元々肉体に恵まれた人間に、三島のように必死の努力の末フェイクかもしれないが見られる肉体を獲得した人間の気持が分かるか。以前別の本で石原が「ボディービルでは身長は伸びない」といっていたことを思いだし、さらに不愉快になり、本を投げ出した。
_ でも数日後、また本を手に取り読み出した。そして最後の部分に次の文章があった。それは、石原が防衛庁の高官から極秘裏に見せてもらった写真についての記述だあった。
_ 「撮したのは自衛隊の撮影班で、三島さんたちに気づかれないように外側に立てた脚立に乗って欄間ごしに証拠写真として部屋の中の様子を撮りまくった。そこに部屋の中で率いた楯の会の会員たちにあれこれ指図している三島さんが写っている。もうその後数分で割腹自決する三島さんのその顔というのが、澄みに澄んで、実にさわやかで平明ななんとも美しいものでした」
_ 「死ぬことを決めてしまった人間というのは、覚りきったという以上に、こんなに清明な顔になれるのかと思わず感嘆するほどだった」
_ 実はこの写真の話は以前確か日経新聞に載った石原の随筆で読んだことがあったのだが、あらためて三島さんに読ませてあげたかったと思うと、涙が出た。でも最期の三島はスターでも有名人でもなく、自分を見ているもう一人の自分もいない、無名のテロリストだったのだろう。だから自分の写真にも興味がなく、自分がどう見えるかにも関心がなく、立派に死ぬことだけを考えていたのだろう。
_ この本を読み終わって、結局石原も老いと死については私と同じくらい困惑し当惑していることが分かり、親しみを感じた。