_ 新しい丸ビルの店に行った。
_ モナリザはフレンチの名店で、恵比寿の本店には2回行って気に入っていた。
_ 丸ビル店に入って先ず感じたのは明るいということで、角部屋の2面が全面窓であとの2面は白い壁だった。まだ六時半で外が明るかったこともあり、ちょっとファミレスに来たような錯覚を覚えた。テーブルは窓際に並べられ窓の方向を向く席が上席だと言われた。確かに窓側の席は白い壁を見るしかなく落ち着かず、2時間もいると疲れる。
_ 料理はレベルが高く美味しかったがこれといって印象に残るものはなかった。実はワインのことが食事中気になって食べることに集中できなかった。
_ ワインリストは充実していて、ワイン通ではないのでいつもは一応見てからソムリエのお勧めを飲むのだが、今回はブルゴーニュのニュイ・サン・ジョルジュを飲むことにした。ニュイ・サン・ジョルジュは20年ほど前、その当時まだ1店しかなかったクイーン・アリスで飲んだのがとても美味しく好きな銘柄だった。もっとも高いのでいつもはそれに似たもっと安いワインにしてしまうことが多い。今回は1990年のものでヴィンテージがどうだか知らないがたまには美味しいワインも飲まなければと思ったのだ。
_ さて試飲してみて先ず感じたのは軽いと言うことで、別に味がおかしいわけではないが、いつも家で飲んでいる1500円のチリワインより軽くコクもなかった。ワインに関しては味を見分ける自信はなくニュイ・サン・ジョルジュと他の銘柄を区別する能力はないが、少なくともこんな軽い酒ではなかったという記憶はあった。しかし、別に味が変だと言うことではないから結局飲んでしまった。
_ 1日たって、そのことが頭を離れないので、店に電話をして聞いてみようと考えた。ひょっとしたら店が騙されてボージョレヌーボーをニュイ・サン・ジョルジュと偽って買わされたのかもしれない。九時半くらいになって店がひまになった頃を見計らって電話した。昨日そちらで食事をしたものですがソムリエの方とお話したいのですが、と言うと、ソムリエの誰でしょうか、と聞かれた。あんな小さな店にソムリエが何人もいるのかな、と思ったが、いやどなたでも結構ですと言った。それからずっと待たされてもう切ろうかと思ったころ、ハイと返事があった。そこでニュイ・サン・ジョルジュがそんなに軽いということがあるのかと聞いた。相手のソムリエのはずの人物は若い男のようでワインリストを調べていた。ああ1990年の何とかですねと知らない単語を言った。13年たっていますからそろそろ枯れてくる頃で・・・味は飲む方で違ってきますから・・・。結局、軽いニュイ・サン・ジョルジュがあるのかはわからなかった。
_ 普通の小学生の女の子が援助交際をするのは多分日本だけだろう。彼女達が得た金で買うのはブランド品だという。渋谷の109には小学生向けのブランドショップがいくつもあるとのこと。
_ 主要な高級ブランドの日本での売上は全世界の1/5から1/3を占めるという。日本での売上が世界の1/3(昨年度で1357億円)になるルイ・ヴィトン・ジャパンの社長は日本人がブランド好きである理由は「日本には伝統的にいいものを長く使う文化がある」からだという(朝日新聞2003年7月19日)。しかしヴィトンのバッグが本当に長持ちするいいものなら、毎年買い替える必要はない。
_ ブランド好きの言い訳はまさに「良いものは長持ちする」ということにに尽きるが、その連中が毎年新作を買いあさっている。新作のヴィトンのバッグは何ヶ月も待たないと手に入らないという。洋服でも靴でも毎年ファッションは変わり、去年流行したものを今年使うのは勇気がいる。なぜ勇気がいるかというと、同性の目があるからだ。男には去年の流行と今年の流行の違いは分からない。
_ ブランド好きも日本人の横並び指向のひとつの表れで、ブランドを身につけることがあるグループに属する条件になっている。
_ ヨーロッパであれば、ブランドを着るグループは少数の特権階級になるのだろうが、階級のない富裕な日本においては、ブランドは誰でも手が届く「擬似階級」へのパスポートなのだ。
_ よりよいものが金をだせば手に入れられるのは資本主義社会のいいところだろうが、それを持つこと(または持たないこと)が脅迫観念になっているとすれば健全ではない。今更日本人の横並び意識を変えろといっても実際的ではない。ブランドを全面的に禁止したり規制するのも難しい。しかし子供をブランドの毒から守ることはできるだろう。
_ 提案としては、小学生、中学生には親同伴の場合を除き**円以上の品物を売ってはいけないことにする。高校生も上限を上げて同様に規制する。違反した業者は厳罰に処す。
_ 石原都知事、東京から始めませんか?