少数意見

最新 追記

2004-01-03 ボブ・サップ対曙

_ 朝日新聞はこれまでK-1を記事としては取り上げたことがなかった。サップの特集を組んだことはあったが、スポーツとはみなさないということなのだろう。しかし、今回はさすがに無視できず社会面ではあるがサップの勝利を報じた。

_ 試合は期待以上のもので、特に曙の気迫はすごかった。サップのローキックで曙が立てなくなるという展開かと思っていたが、すさまじいKOだった。

_ 曙は負けたからといって弱いわけではない。曙のパンチが1つまともに当たっていたら結果は反対になっていただろう。それに、ルールが相撲だったら電車道で曙の勝ちだった。

_ あの番組でもうひとつ注目したのはマイク・タイソンだった。彼こそ元祖野獣なのになんと紳士的!服装も日本のさえないビジネスマンのようだし、中継の不手際にもいやな顔もしないで誠実に質問に答えていた。私はそこにタイソンより強いジャパンマネーの姿を見た気がした。


2004-01-17 ミスティック・リバー

_ クリント・イーストウッドの監督作品で彼の最高傑作とも言われはじめた映画である。

_ 11才のジミー、ショーン、デイブが路上でホッケーをして遊んでいる。そこを通りかかった2人の中年男がデイブを車に乗せて連れ去る。彼は4日後に逃げるが、人生を変えてしまうような体験をする。そして25年後、3人はある殺人事件を機に再会し、あの日の出来事が蘇る。

_ 我々はデイブと同じように「あの事件さえなかったら」、「あの時違う行動を取っていたら」など自分の過去に if を求めたがる。過去の1つのコマが違っていたら今の自分はこんなではなかったはずだ。多くの場合、この回想は悔恨を伴う。

_ しかし、本当にそうだろうか。デイブではなくジミーかショーンが車に乗ったという過去はありえたのだろうか。この映画はその疑問には答えない。

_ この映画は一見25年前の事件にこだわっているように見えるが、本当はそんなこだわりは無意味だといいたいのではないか。あの事件がなかったとしても、デイブは同じような人間になっていたのではないか。あの事件がなかったとしても別な事件が起き同様にデイブを支配したのではないか。ギリシャ悲劇のようにどのように逃げても運命はデイブを捉えたのではないか。

_ そして終章で運命はジミーをも捉える。錯誤により彼は取り返しのつかないことをしてしまう。彼は被害者でありながら心ならずも加害者になり、チェスのチェックメイトのように怒りによる行動もままならない窮地に追いこまれる。しかし、妻の言葉(それは悪魔の助言かもしれないが)によりジミーは復活する。彼は運命をまるごと肯定してしまったのだ。全てはなるようになったのだ。他に可能性はなかった。

_ 映画ははなやかなパレードを見るジミーの家族、ショーンの家族そしてパレードの中の息子を見守るデイブの妻を映して終る。

_ ニーチェの永劫回帰を思った。


2004-01-24 「七人の侍」「武蔵」訴訟報道

_ 黒澤関係の訴訟は3件目で、前の2回は何れも提訴の時に新聞に載った。今回は話題性があり社会的意義もあるので一番マスコミの注目を集めると思っていた。だからプレスリリースも入念に準備していた。

_ 前2回は訴状を提出した直後に新聞社から問い合わせの電話が入った。今回は訴状を出しても何の反応もないので裁判所に尋ねると、マスコミに裁判所からリークすることはないとのこと。前2回は10年以上前なのでプラクティスが変わったようだ。裁判所によれば、口頭弁論期日の前日に期日表というものが配られるのでそこで判明するよし。第1回期日は2004年1月20日だから、19日にはわかるということ。

_ さてその19日、10時すぎに事務所に行ったが、1つも電話は入っていなかった。午後になってやっと共同通信から電話があったがあとは産経新聞からあったのみ。前2回に比べてあまりにも反応がニブイ。去年の1月の放送の話だし「武蔵」は終ってしまったからかと思った。気負っていたのでがっかりした。

_ 20日の朝刊には一応載ったが(共同通信の配信)、小さな扱いで、朝日は全く無視した。

_ 午前11時に法廷に行った。傍聴席には記者のような人が10人ばかりいたが、法廷が終ったあとNHKの弁護士の周りに集まってこちらは無視された。これで報道は終りかと思ったが、午後になりテレビ局から電話が続いた。先ず日テレが「武蔵」のビデオを貸してくれと言ってきたのでNHKの著作権に気をつけるようにと言って渡した。20日の午後5時の「プラス1」で使ったようで「武蔵」の問題シーンがイラストで出てきた。

_ 次はフジテレビ。黒澤久雄氏に取材申し込みしているが、ダメな場合は私の話を聞きたいとのこと。しばらくして、黒澤氏を取材できることになったが、彼の話で不足の部分があれば私に補充してほしいと言ってきた。すぐに久雄氏から電話があった。「どうしても話が聞きたいというので取材に応じることにしちゃったよ。青山なんだけど乗杉さん来る?」「いや、後で事務所に来るようなので」(ちなみに久雄氏は成城学園初等部で私の2年先輩にあたる)

_ 5時半くらいにフジテレビの3人が大きなビデオカメラをかついでやってきた。「先生の取材は我々だけですか?」「そう」「さっきは10本くらい立っていたのになー」(カメラの台数のことか?)

_ インタビューは20分以上続きいろいろと面白い話をしたつもりだったが、21日の「とくダネ!」で使われたのは1分足らずだった。でも女性のレポーターは私のビデオを見ていたようで、私が話したことを自分の言葉で語っていた。夕方6時に取材したものを理解して翌朝8時の放送に間に合わせるのはエライと思った。


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