_ 三池崇史監督作品。実際の事件と裁判に基づく。
_ 児童と親が小学校教師に対して損害賠償を請求する裁判を提起する。訴えの理由は教師が児童に対して暴行を加え暴言を吐いたというもので、教師はそれを否認している。
_ 映画は、原告、被告の両方の視点から何が事実であるかを探る。最初に原告側の主張に基づく映像が流れる。そこでは、綾野剛扮する教師が、児童に対して、サイコパスとも思われる凄惨な虐待をする。
_ ここで黒澤明の「羅生門」であれば、被告が見た事実が映像として提示されることになる。しかし、被告は、原告主張の事実のほとんどについて、そのような事実は存在しなかったと言っているので、従って、映像もない。
_ 映画としては、これが「羅生門」のような明快さを欠く原因となる。原告主張の事実は、裁判で言語により反駁される。しかし、綾野剛の迫真の演技が頭に残っているので、それを払拭できない。
_ 裁判は、民事なので、原告が主張する事実を立証できなければ敗訴となる。刑事事件の裁判で、アリバイがあった、真犯人が現れたなどの理由で、被告人が無罪になるというような劇的な展開はない。
_ 映画は、教師側に立って作られているので、教師の主張が正しかった、つまり虐待はなかった、という結論になっている。しかし、裁判では、虐待がなかったという事実認定がなされているわけではなく、虐待をしたという証拠がなかったと言っているに過ぎない。
_ あまり深く考えなければ面白い映画だが、裁判の映画としては失敗だろう。