_ 何度も書いたことだが、腹が立つので。
_ 今朝テレビのワイドショーを見ていたら、中2の少女が自殺した件で、その生徒が通う中学の校長の発言が二転三転したことが問題にされていた。レポーターが、その校長を無責任だと非難すると、3人のコメンテーターは異口同音に賛成した。あるコメンテーターは言葉のいじめが肉体的な暴力より酷い場合があるといい、いじめの定義が必要だと言った。連中は自分たちがいじめる側にまわっていることに気づいていない。
_ いじめの定義は「多数が少数を攻撃すること」、それだけだ。攻撃の理由は問わないし、どちらが正しいという価値判断はしない。ひとりの校長を全マスコミが非難すれば、それは立派ないじめである。校長に非があったとしても然り。誰にでも何がしかの非はあるし、多分ほとんどのいじめは、いじめられる側にも何らかの問題がある。そして、いじめる側は、自分たちは正しいことをしていると思っていることが多い。
_ 日本の社会はいじめ社会だ。学校でも、会社でも、あらゆる集団でいじめが行われている。それは日本人が付和雷同の遺伝子を持っているからだ。自分の意見がなく、人の顔色を見て、多数派と思える方に付く。何か問題があれば、我先にと多数派に走り、取り残された者がいじめの対象になる。
_ 今朝の番組では、丸山弁護士が、自殺には色々原因が考えられ、いじめが原因と認定することは難しいとまともな意見を言いながら、結局はなし崩し的に校長を非難する側に付いた。ここで校長を弁護したら自分がテレビから干されると思ったのだろう。
_ 米国の弁護士がよく使う言葉で devil's advocate というものがある。文字通り訳せば悪魔の代理人だが、議論の際に故意に反対の立場をとる人、の意味だ。たとえば、原告側弁護団が議論をしているときに、一人の弁護士が、自分が被告側弁護士だったらこういう議論をすると被告側の主張を代弁する。こうすることによって原告側の弱点がわかる。一方の側からだけ考えていても真実は見えてこない。
_ テレビに出る弁護士は devil's advocate の役を買って出るべきだ。どちらの側でも議論ができるというのが弁護士のプロたる所以ではないか。