_ 平野啓一郎の「三島由紀夫論」を読んでいる。
_ 私の三島由紀夫との会見で、当時から疑問に思っていたことを書く。それは、なぜ三島は私と町永に対してあのように対応したのか。
_ 会見記にも書いたが、三島は私の祖父に恩義がありその返礼をしたいと言った。祖父は、私に三島と会ってみないかと言い、私は、当時「仮面の告白」しか読んでいなかったが、たまたま、三島オタクの町永が同じサークルにいたので誘った。当時は全共闘運動の真っ盛りで、町永は三派系全学連の親派だった。親派と言っても、あの頃は、学生の八割がたが左翼で、珍しい存在ではなかった。
_ 私は、祖父に、全学連を連れていくがいいかと確認し、三島がOKしたので二人で行くことにした。
_ 当日は、二人ともなれないネクタイとスーツで町永も全学連ぽいところは全くなかった。
_ 三島は終始上機嫌で、よどみなく話を続けた。そこで気になったのは、三島の話のレベルが高いことだった。例えば、ゴティックロマンは好きですかという質問。私は、何の話か分からなかった。大江健三郎については、渡辺一夫に師事したのが間違いだと言った。私は、渡辺一夫がだれか知らなかった。なんとか話を合わせられたのはSFぐらいだった。
_ 今現在の知見からして、三島のあの時の会話は、当時のインテリを相手にしてのものと同等だ。「三島由紀夫vs東大全共闘」を読むと当時の東大のトップの連中は、三島と対等に討論できたことがわかる。私はそのあと三島が早稲田の大隈講堂で行った討論会も見に行ったが、ひどいものだった。早稲田と東大では高校野球とMLBぐらいの差がある。
_ 三島は、私大のレベルが低い相手だから、からかうつもりだったのだろうか。それにしては、三島は自分の話に注釈をつけるように、親切に説明してくれた。ゴティックロマンについてもそう。
_ 三島は、時間いっぱい、すごくレベルの高い話をしてくれた。私はその全部を理解できなかったのが残念だ。
_ 私にはレベルが高かったが、町永のレベルにはあっていたのだろうか。三島は、全学連を完封するつもりで剛速球を投げてきたのだろうか。
_ 私も町永も後で礼状を書いた。返事はなかった。祖父が、我々の印象を、三島の父である平岡梓氏を通じて聞いた。私については、好青年とのこと。まあ無難なコメントである。町永については、梓氏が、全学連はどうだったと聞いたら、「あれはただの文学青年」との回答があったとのこと。