_ 小泉毅容疑者は34年前に保健所に処分された愛犬チロの仇討ちが理由だと言っている。これは信じ難いという人が多い。
_ しかし犬の立場で考えたらどうだろう。私が理由無く殺される犬だったら小泉の行動は快挙であり涙なくして彼の決起の宣言は読めないだろう。小泉は犬の代理人だと考えると分かりやすい。
_ でも何故34年も待ったのだろう。それは多分彼の人間に対する憎悪と犬の仇討ちという観念が一つになるのにそれだけの時間を要したのだろう。
_ こんなことかもしれない。
_ 小泉は人間社会から阻害されている自分を感じ、それが社会に対する憎悪になり、人間全体を敵と見て攻撃を考える。ここまでは最近流行の無差別殺人犯と同じだ。違うのは、小泉は同姓の元首相と同じくロマンチストで自分の死を無駄な死とせず何かのための死にしたかった。そのためには大義が必要だった。大きな価値のために死ぬ、すなわち献身が彼の行動であり、その先の栄光ある死を担保する。
_ そこで34年間忘れることの無かったチロの死が彼の考える行動と結びつく。小泉はすでに人間社会を敵と見ていた。殺されたチロや同じ運命の多くの犬たちにとっても人間は敵である。しかし犬は人間に復讐することは出来ない。小泉は人類が犬と自分の共通の敵だと認識する。そして犬と違って自分には人間を攻撃する力がある。
_ そこまで来ると彼の心には一点の曇りもない。犬のための復讐という大義を達成するための行動あるのみだ。敵は人類だから別に厚生事務次官である必要も無かったが、打撃の効果を考えて相手を選ぶ。後はひたすら身体を鍛え、武器をそろえて機会を待つ。世俗的な代償を考えないという意味で、彼は純粋なテロリストであり殉教者だった。